いまほこ君雄による愛川町のなぜ、どうしてを調べるブログ

愛川町政の透明性を高める活動をおこないます

【愛川町議会議員選挙】公開質問状に関する中間総括

公開質問状を1つは総務部長宛、もう1つは副町長宛に提出しました。提出に至る経緯や、回答に関する筆者の問題提起は以前のブログを参照していただきたい。いずれの公開質問状も、町が進める「観光・産業連携拠点づくり事業」に関連する問題であり、10月以降、筆者の立ち位置が変れば、町と激しく対立する問題であります。
現在、追加の質問を町、具体的には企画政策課に出しております。回答は9月議会終了後との課長との約束もあり、しばらくは手元には届きません。
ところで、課長とのやりとりの中で、偶然筆者の質問状に関して、決済等での印鑑が捺された書類を見ることが出来ました。数秒でしたので、詳しくはわかりません。筆者の手元にある別な件での文書請求書類にも同様のものがあります。基本的には決済には、町長印、副町長印、部長印、課長印、主幹印、副主幹印などが押されております。筆者が指摘してお示ししてきた通り、明らかに内容破綻した回答がありました。恐らく捺印したであろう町の職員達は次ぎの2つの疑問を筆者に投げ掛けました。1つは、彼らは本当に筆者の公開質問状と企画政策課の回答を読んだのであろうか。もう1つは、彼らに文章を読んで理解出来る能力があるのだろうか。
筆者の公開質問状に対する町の考え方が良くわかりません。そこで、町のトップの前職はどうであったのか。という疑問が湧いてきました。そこで、手元にある大著『愛川町郷土誌』:昭和57年3月25日発行、と総務課に協力していただき、わかる範囲で調べてみました。
 
愛川町(愛川村、高峰村、中津村の合併後)の歴代町長を以下に示します。
 
    名前     就任年月(※退職は省略)
初  井上 博   昭和30年2月
2  井上 博   昭和34年2月
3  井上 博   昭和38年2月
4  小島 盛次  昭和41年11月
5  小島 盛次  昭和45年11月
6  高橋 大介  昭和48年10月(間が開いていますが前職:助役)
7  相馬 晴義  昭和52年10月(前職:助役)
8  相馬 晴義  昭和56年10月
9  相馬 晴義  昭和60年10月
10  相馬 晴義  平成元年10月
11  相馬 晴義  平成5年10月
12  相馬 晴義  平成9年10月
13  山田 登美夫 平成13年10月(前職:助役)
14  山田 登美夫 平成17年10月
15  山田 登美夫 平成21年10月
16  森川 絹枝  平成25年10月(前職:元議長)
17  小野澤 豊  平成26年6月(前職:副町長)
18  小野澤 豊  平成30年6月
19  小野澤 豊  令和4年6月
 
となっており、森川町長を除けば、役場内出身の町長となります。
想像の域を出ない話ですが、これら町長の考え方が、現在の町役場組織の体質のようなものを長きにわたって形成させてきたのかもしれません。今後の活動の参考にしたいです。
 
[いまほこ君雄より]
わかる範囲では唯一の例外である森川絹枝町長は、公明党の町議であり、議長も経験された方です。健康上の理由から任期途中で辞職されました。およそ40年前、筆者の父親である今鉾勉も2期目の任期途中で心臓発作で急逝しました。党勢拡大の初期であり、その後の紆余曲折は今では詳しく知る方も少なくなったと思います。筆者としては獣医師として生涯を終わらせるつもりでしたが、町の野良猫に対する不合理をきっかけにして、町に対する様々な疑問・問題を解決する必要があると考えるに至りました。